東日本大震災支援ボランティアに参加して

2011-06-30

平成23年6月26日午後3時、河内長野市役所を車で出発。高速道路を乗り継ぎ、約1300kmを走り、翌27日午前3時45分に岩手県遠野出口で降りる。少し休憩して、そこから一般道で釜石市に向かう。夜明けとともに午前6時頃、釜石市ボランティアセンターに到着。その後、約1時間程周辺の被害状況を視察。午前7時から8時過ぎまで車中で仮眠。8時30分にボランティアセンターでオリエンテーションを受け、我々は箱崎町にお住まいの、昭和6年生まれの一人暮らしのおばあちゃん宅が担当となりました。軽トラが必要と思いセンターにお願いしたら、新品の軽トラを貸してくれた。それに一輪車3台・角スコ3ケ・バール3ケを積み込み、箱崎町の現場に出発。9時30分到着後、おばあちゃんの指示どおり、津波で破壊されたガレキの撤去等を行う。終了後おばあちゃんからお茶を出していただいたが、その時、「あーこれで今晩からゆっくり眠れます、ありがとうございました」と喜んでいただき、仕事の疲れは吹っ飛びました。その後ボランティアセンターに帰り、近くに設営されていた自衛隊の仮設浴場で汗を流し、大槌町総合スポーツセンターに支援物資(Tシャツ)を運び込み、一日目が無事終了しました。

二日目は、まず避難所となっている釜石市中妻体育館へ行きました。老夫婦が二人で静かに身を寄せ合っていたので、「大阪から来ました山口です」と声をかけても中々話してくれませんでした。被災者の生の声を聞きたい一心から、私も正座をして話しかけるうちに、少しずつ口を開いていただきました。今、一番困っているのは何ですかとお聞きすると、「仮設住宅の抽選に何度応募しても当らないのですよ、そして何処で誰が、何人で抽選して何人当ったのか、情報を全く知らされないのですよ」と話されました。その事は取り合えず釜石の市議会議員に伝えておきました。帰り際に「山口さん、これ見せてあげる」と言って自分で撮った3枚の写真を見せてくれました。地震直後に、津波が来るといってカメラを片手に裏山に逃げた瞬間に写した写真でした。私は了解を得て接写させていただきました(↓写真)。その後、まだまだ不十分な仮設住宅を視察して帰路に向かいました。


福島原発事故(東電)の原因究明や復旧が全く進まない状況であるにも関わらず、政府は後手後手の、場当り的な対応を繰り返すばかりで、2万人に近い震災犠牲者の御霊に報う為に何をしようとしているのか?犠牲になられた多くの方々の魂は、今の日本国に何かを訴えているように思えてなりません。昨年の3.11以来、国内で続発する自然災害の種々。国においても真摯に考え直さないと、犠牲者の御霊は鎮まらないのではと考える毎日です。

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